GSXR1000K9レーサー製作(2)
オイルキャッチタンクを取り付ける。ギリギリのスペースです。
インジェクションのセットアップもひと仕事です。アイドル調整も繊細です。今時のレーサーはパソコンなしには、何もできません。
オイルキャッチタンクを取り付ける。ギリギリのスペースです。
インジェクションのセットアップもひと仕事です。アイドル調整も繊細です。今時のレーサーはパソコンなしには、何もできません。
まずカウル類をはずしていきます。途中の写真をアップしときます。
二本出しもなかなか格好良いですね。マフラーの取り付けも簡単そうで、オイルクーラーステー加工等、付属する作業が時間を必要とします。
ホイールも採寸のためはずします。今までのものと若干違いました。レース用ホイールの加工が必要です。あと2次エアブラインド等のため、エンジンのカバーをはずします。非常にコンパクトなエンジンです。サーモスタットも解除します。レース用ハーネスの入れ替えも時間を要します。
アライから新型のRR5が昨年発売されたので、佐世保レーシングオリジナルをまたしても作ってしまいました。今回同じものを3個作ったのですが、一つは私用で、一つはチーム員用、残る一つは今年レース参戦する、眞悟選手用です。このデザインは1991年の全日本用に作ってからずっとこれでサーキットを走っています。当初は蛍光カラーでした。いまはキャンディーカラーです。8耐もこれでした。だいぶストックが増えました。
今年、このヘルメットを被ったシンゴ選手の応援よろしくお願いします。このデザインが全日本の決勝を走るのが楽しみです。ちなみにこの新型は開口部が広く、視界が広いみたいです。
ピットで待てども待てども、ペアライダーは戻ってきません。クラッシュによってリタイヤが告げられるチームのアナウンスを聞きながら、ペアライダーを案じていたとき、マシンを押しながらピットに帰ってくるライダーが1人、なんと我がチームのペアライダーです。ぼろぼろになったマシンを必死に押してきています。チームクルーの面々がマシンを受け取ると、ライダーはピット内に疲れてなだれ込みました。私は駆け寄り、声をかけ、体の無事を確認し、一安心しました。さあ、あとはマシンのダメージのチェックです。思ったより損傷がひどく、カウル類はもちろん、フロント廻り、マフラー、クラッチまでぼろぼろでした。エンジンオイルも漏れています。用意していたスペアマシンからパーツを移植する大手術がおわるまでに、約50分を要しました。復旧を終えたマシンに再びペアライダーがまたがり、ピットアウトしていきました。皆の心配のなか、予定の周回をこなしていきます。どうやらマシンは大丈夫そうです。ほっとした私は、いよいよやってくる自分の走行のため、革ツナギに身を包みます。ペアライダーがピットに戻ってきました。燃料補給を終え、マシンを受け取ります。(スプーンコーナーから気の遠くなるほどの距離を、炎天下の中、押して帰ってきてくれたペアライダーの気持ちも一緒に受け取って)
2001年8月5日日曜日、ついに決勝の日がやってきました。
午前11時30分スタートなのですが、それまでの時間、ヘルメットのチェック、マシンのチェック、等々、時間の許す限りの最終作業を行っていました。整備をしていると、以外に落ち着くものです。
ペアライダーとの打ち合わせを終え、相方がスタートライダーをやることになりました。
メインストレートのグリッド場でライダー紹介が始まり、ロッシ、大治郎、芳賀等々、名だたる有名ライダーに声援が飛んでおりました。わがチームは56番グリッドだったので、紹介までは随分時間がかかりました。
70番グリッドまで紹介が終わり、いよいよクルー退去です。
8耐はルマン式スタートなので、ペアライダーがマシンを支え、コース反対側からライダーが走ってきてマシンにまたがりスタートする、というものです。
スタートの秒読みがはじまり、(お客さんが一緒に大声でカウントダウンします)一気に緊張がはしります。
ついにグリーンシグナル。マシンを支えていた私は、走り寄るペアライダーにマシンを託しました。
物凄いエキゾーストノートと共に70台のマシンが一斉に走り出しました。
サーキット全体が熱いムードへ変化しました。場内アナウンスも爆音にかき消され、私は聞き取れませんでした。
ピットに戻り、戦闘モードに入らなければならないため、走ります。灼熱の太陽が容赦なく照りつけていて、こんなに汗をかいたら、皮ツナギが入んないよ、と思ったのをおぼえています。鈴鹿は広いです。
ピットに戻り、モニターを見つめていると、大クラッシュのアナウンス!
西コースのスプーン手前で数台が絡んでの事故みたいです。
いやな予感がはしったのですが、それが的中。ペアライダーが戻ってきません。
ピットをでて、コース脇まで飛び出しました。待てども待てども、戻ってきません。
心臓バクバクです。
とりあえずホイールを仮付けしてみます。
アクスルシャフト径のコンバート、センター出し、チェーンライン出し等々
問題は山積みです。
フロントのディスクローターはサンスターのスリットを選択、フォークのアウターはブラックアルマイトを施し、レーシーな雰囲気に。
今回は’92年RGV250ガンマSPのカスタムを御紹介させて下さい。
元々、綺麗なガンマを時間をかけてカスタムしています。
ポイントは足廻りと外装です。
どうしてもマグネシウムホイールを装着したいというカスタマーの希望を叶えるため、
マグタンを入手しセットアップを試みます。
予選が終わり、一息ついたわけですが、翌日の土曜日は、ノービスの祭典といわれる、4耐が行われるため、そちらの応援もあり、忙しさは変わりません。
ただ、2002年から投入されることが決まっていた、4サイクルマシン(211V)の初お披露目が行われ、幸運にもそのけたたましいサウンドをいち早く聞くことになりました。実はその前にアライヘルメットのブースでシールドを交換していただいて帰る途中で鈴鹿についたばかりのミック・ドゥーハンに偶然に遭遇し、着ていたシャツにサインをしてもらったのですが、(誰に会うかわからないので常にマジックを携帯する準備の良さは我ながらすばらしい)なぜミックが来たのかは、けたたましいサウンドで理解することができました。2台の211Vがランデブー走行をしていて、そのライダーはミックと、鎌田選手(開発ライダー)だったのです。音も凄かったのですが、それ以上に東コースのS字の切り返しが異様に軽く見えたのを覚えています。噂では、8耐の予選タイムをうわまっていたとかいないとか。翌年から、ロッシが211Vを駆り、王者の記録を作り上げていったことを思えば、あながちありえたかなと思います。
まあ、それ以外にも2001年の8耐は、話題が多かったと思います。テレビ番組のガチンコ(TOKIO)の取材が連日行われており、レースのファンなのか、TOKIOのファンなのかわからない女の子たちが、そのピットに押し寄せておりました。
いろんな効果で、2001の8耐は、前年を大きく上回る入場者数だったと聞いております。よって良しとしときましょ。
前夜祭が終われば、いよいよ決勝当日を迎えることとなります。
ドカティ749Rのオーバーホールをやってみたのですが、その時に感じたことをかかせていただきます。
この車両はサーキットをメインに使用(約4000キロ)されているのですが、私が試乗させていただいた感じでは、どうもフロントの動きが渋く、また硬く感じました。おそらくスラッジ等がたまり、減衰力が発揮できず、その結果セッティングを難しくし、イニシャルを掛けすぎているのでは、との推測をたてました。
実際、分解してみると、上澄みはきれいなのですが、カートリッジの下部あたりからは黒いスラッジ混じりのオイルが出てきました。
高級なフォークほど、初期のメンテの重要性をかんじますね。
今回、オイルが漏れていたわけではないので、シールはそのまま使用です。オイルはモチュールファクトリーラインです。
オーバーホール後、使用していただいたのですが、フロントの動きがわかりやすく、車体の姿勢変化を上手く使え、安心感が得られたとのコメントをいただきました。なんといってもドカはコーナーリングが魅力ですから、このコメントは嬉しかったですね。
次は、リアもやらせていただく予定です。
予選が始まりました。当時のレギュレーションではライダー2人の平均タイムでグリッドがきまっていました。よって、どちらかが速いタイムを出せば予選通過とはいきません。直前に転倒している私は、とにかく転倒しないように用心して少しずつタイムを詰めていく作戦に切り替え、一発を狙うのを自粛しました。結果、ペアライダーに頑張ってもらったこともあり、STクラスでトップ通過できました。全体では後ろのほうですが。
公式結果が夕方に出たときはさすがにうれしかったのを覚えています。ただ休む間もなく、ナイトセッションのプラクティスがはじまります。
初めての夜の走行です。ライトを点灯しているとはいえ、進行方向を照らしてくれるわけではないので、ナイター設備に頼らざるをえません。
ワークスライダーたちは、コースのリズムを掴んでいるのでしょう、ものすごいスピードで抜き去っていきます。リズムを掴めない私は恐る恐るラップを刻んでいました。スプーンコーナーがやたら暗く感じたのを覚えています。昼間の予選、夜の走行練習と忙しい1日が終わりました。
ちょっと頑張った1日でした。